本所外出町2番地
菊池永之助が2代にわたって質屋を営んだ地である。江戸に進出した佐野屋孝兵衛家の3代目を継いだ慧二郎経政の姉久子は、真岡支店の菊池代吉の子、政隆を養子に迎え本所外手町に質屋を開業する。久子は教中の実施であったが、どういう理由からか離縁されて、政隆の後妻に満壽子が縁組となる。
政隆と満壽子の間に生まれたのが、大塚店の祖である艶子である。艶子が16歳になると、当時佐野屋永之助店の番頭であった、岡部久吉を養子に迎えて結婚する。此の」夫婦はしばらく本所で結婚生活を過ごした後、大正11年に大塚に支店を開業する。
おりしも、その翌年大正13年9月1日に関東大震災が起こって、本所一帯は比の海に包まれて潰滅してしまう。本所佐野屋も倒壊焼失し、幸い被害の小さかった大塚店の久吉とその長男貞吉は、本家の消息を求めて本所を探索する。奇蹟的に艶子の生母満壽子を発見して、大塚の家に収容する。本家は滅亡し、日本橋の佐孝店も解散の止む無きに至り、ここに大塚にひっそりと佐野屋の系譜を伝えるのみとなったのである。
佐野屋本所店は大川=隅田川にかかる厩橋の南詰やや下流の外手町2番地にあった。現在は首都高速6号線の下あたり、本所1丁目の場所になる。

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